Apr 28, 2009
日本の会社を設立している人が少ない
今日聞いた話ですが、日本は欧米に比べて、自分で会社を設立している人が少ないんだそうです。詳しいことは、あまりにも私も分からないですが、妙に納得してしまいました。日本人は、あまりにも目立つのが好きではない人も多いのではないかと考えて、私自身そんなに多くのお金はいらないから他の人々の生活をしたいと思いますからね。会社を設立しようとは思わない。取引先が事業資金を貸してくれと頼んだ。これでもう何度目になるのだろうか?買掛金と相殺してくれてかまわないということですが、月末近くになったらまた来るので、とりあえずローンな事業の資金はそのまま付いているような感じだ。今は正直、この会社も長いのだ。おそらくこれからは、自分のところでご注文もない。
被害が大きかった地域を中心に、電話で営業が確認できた主な給油所は次の通り。
<岩手県>◆久慈市(局番0194)▽エネオス=新中の橋(電話52・3800)7?20時▽侍浜(電話58・2211)7時半?18時半▽コスモ=霜畑(電話75・2018)7?19時▽大川目(電話55・3339)7?20時▽久慈(電話61・3050)7?20時◆宮古市(局番0193)▽出光=106号宮古(電話64・5045)7?21時予定▽津軽石(電話67・2668)8時半?18時▽摂待(電話87・5134)8?17時▽コスモ=千徳(電話62・5400)7?19時◆釜石市(局番0193)出光=中妻(電話23・6462)8?17時▽エネオス=Dr・Drive釜石西(電話23・7564)8?18時予定◆田野畑村(局番0194)出光=田野畑南(電話32・2131)8時半?19時▽エネオス=田野畑(電話33・2800)8時?18時半
<宮城県>◆気仙沼市(局番0226)出光=本吉(電話42・2561)8?12時▽エネオス=本吉(電話42・2026)8?18時▽昭和シェル=松川(電話23・1613)8?18時◆塩釜市(局番022)コスモ=セルフステーション泉沢(電話366・2006)8時半?17時予定◆仙台市若林区(局番022)出光=仙台産業道路東インター(電話288・8831)7?17時◆名取市(局番022)エネオス=J?Quest名取店(電話383・0261)8?15時▽コスモ=名取砂金(電話382・3228)8時から在庫なくなり次第▽名取西(電話383・6061)8時半?15時(6時から約700台に整理券配布)◆岩沼市(局番0223)エネオス=Dr・Driveセルフ愛島店(電話23・6155)8?18時(一般車両は13時まで)◆亘理町(局番0223)エネオス=パークシティわたり(電話34・3666)7?19時(整理券配布。ガソリン給油30リットルまで)◆山元町(局番0223)エネオス=坂元(電話38・0700)8?18時予定
<福島県>◆相馬市(局番0244)出光=松川浦(電話38・7312)6時半?18時半▽相馬(電話36・2622)8時から在庫なくなり次第▽コスモ=相馬川沼(電話36・6668)8時から在庫なくなり次第▽昭和シェル=グッドハート相馬セントラル(電話36・1353)9?18時◆南相馬市(局番0244)昭和シェル=鹿島北(電話46・2154)9?15時◆いわき市(局番0246)出光=6号いわきバイパス(電話58・5750)8?18時▽エネオス=小名浜泉町(電話56・5004)8時から在庫なくなり次第
宮城県南三陸町で、津波に流されながら自宅裏の杉林にひっかかり、奇跡的に助かった4歳の女児がいた。一緒に流された祖母らは同じ杉林で亡くなっていた。女児の両親は「立派に育てることが供養になる」と心に決めている。
女児は同町戸倉の自衛官、星修さん(40)、みつえさん(43)夫婦の次女悠華(はるか)ちゃん。
大震災が起きた時、悠華ちゃんはみつえさんの母ちよさん(75)、祖父の義妹にあたるももよさん(87)と3人で自宅にいた。
同県登米市内に出かけていた夫婦は地震後、約25キロの道のりを、車を走らせ引き返すと、自宅は跡形もなくなり、辺りにはがれきが積み上がっていた。「悠華、ばあちゃん。どこにいんのや」。みつえさんは悠華ちゃんらの名を何度も叫び続けた。
約15分後だった。「赤ちゃんいたよー」。家の裏の杉林から男性の大声がした。「ママ!」。声のする方向へ向かうと、作業服の若い男性が悠華ちゃんを抱きかかえているのが見えた。
津波の襲来から1時間以上がたっていた。悠華ちゃんは全身ずぶぬれで、杉の葉だらけ。鼻や口、耳にも津波の水が入っていた。体は冷たく、足は動かなかった。「ママだよ。もう大丈夫だよ」と呼びかけると、悠華ちゃんは「うん」と力なくまぶたを閉じた。
連れていった登米市の診療所で低体温症と診断された。体をふいて湯たんぽで温めると、緊張が解けたのか、せきを切ったように泣きじゃくった。
その後、一家は登米市内の修さんの実家に身を寄せた。悠華ちゃんは数日間、黒い下痢が続いた。食欲も出て少しずつ元気になってきているが、夕方薄暗くなると泣きじゃくるようになった。みつえさんは「今までになかったこと。津波を思い出すのでは」と話す。
地震の翌日、同じ杉林で、ちよさんと、ももよさんが遺体で見つかった。みつえさんには、2人が悠華ちゃんを守ってくれたようにも思える。
「子どもを立派に育てなければ」。みつえさんは、不安そうに足にまとわりついてきた悠華ちゃんを強く抱きしめた。【垂水友里香】
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